こんにちは。コトノバです。
突然ですが、「無駄(むだ)」ということばの語源をご存じでしょうか?
この記事では
- 無駄という言葉の語源は?
- ほんとうに無駄ってダメなことなのか?
などについてご紹介します。
とてもムダな記事ですが…あらかじめご了承ください。
無駄(むだ)ということばの語源は?
無駄の「駄」という文字は
「馬に積まれた荷物」のことを表しているもの。
むかし、モノを運ぶ手段として馬が使われていたため
馬の背中に荷物を載せていない状態
つまり「駄」が「無い」のは、お金が儲からないということから
「お金を生まない」=「無駄」となったわけです。
「無駄=ダメ」は「価値=お金」という思考が前提だけど…
たしかに「馬がお金を生むための道具」だと考えれば
馬の背中に荷物(駄)を乗せずに歩くのはもったいないこと。
「お金を生む」ということに価値観を置けば、「無駄」=ダメなことですね。
でも、見方を変えるとどうなのでしょうか?
最近ちょくちょくといろんなメディアで
「貨幣経済(お金の価値が強い経済圏)」から「信用経済(信用の価値が強い経済圏)」に変わりつつある(戻りつつある)といわれてています。
※その次に来るキャラ経済についても別の記事を書いているのでよかったら読んでみてください。
そもそもの価値の基準が「お金」ではないとすると「無駄=ダメ」ともいえないように思います。
例えばヨーロッパでは昔から、馬を商売道具として使うだけではなく
趣味として乗馬を楽しんだりもします。
馬が荷物を運んでお金を稼がなくても、優雅なひと時を楽しむことで十分な価値を感じています。
「お金」を軸に考えると「意味のないダメな行為」でも、違う価値観ではとても豊かな行為にもなりうるということ。
そして、案外、楽しいことは直接お金を生まない無駄なことにこそある、そんな気さえしています。
わたしは無駄がとても好きかもしれない
長く会社で仕事をしてきて、わたし自身「効率の良さ」をかなり追及する人間になっているように思います。
当然、それでいいと思ってやってきたわけですが、もしかするとこれは偏った思考なのかもしれないなあ、と思いはじめています。
子どものころ、いやもう少し若いころは、明確な目的もなく、1円にもならないことに夢中になり、泣いたり笑ったりしていたのに、最近はとても堅実で、たいして面白みのない人間になっているのかも…と。
ただただ爆音で音楽を聴いたり
あてもない旅にふらっと出かけてみたり
仲間と、誰にも話したことのない夢の話でもりあがったり
そんなことに夢中になれるほうが、豊かな人生を送れるのかもしれない
と本気で思い始めています。
「無駄」って案外おもしろいもの?
いや、むしろわたしは無駄なことこそが好きなのかもしれない
そんな風に思う今日この頃です。
ここまで、本当に無駄な話にお付き合いいただきありがとうございます。
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